2016年4月14日木曜日

春の会津若松 岩代国・一の宮 伊佐須美神社

奥州二の宮、岩代国一の宮 「伊佐須美神社」です。





鳥居をくぐると右手には、菅原神社。
左手には、「神牛」です。



白い布は、神様の通り道なのだそうです。









「飛竜乃藤」



社務所にいた「オッドアイの白い猫」。神の使いかも・・。

春の会津若松 如来堂と阿弥陀寺

「如来堂」
会津新撰組 死闘の殉難地 斉藤一 この時は、山口次郎。
西側のすぐ近くには「阿賀川」が流れていました。
ナビがなかったら、この「如来堂」に到達するのは、かなり困難かも、
です。









「阿弥陀寺」 
斉藤一 こと、藤田五郎のお墓です。
「会津東軍」の墓地です。







近所には、こんなものが。



佐世保バーガー、ではなく、会津バーガー。




春の会津若松 鶴ヶ城

37年ぶり、「会津鶴ヶ城」 ! 桜は未だかな?と思っていましたので、
完璧にタイムリーでした ヾ(*´∀`*)ノ







天守閣からの眺めです。



桜吹雪です。



ちなみに今日の昼食はここです。



春の会津若松 会津武家屋敷

次は、鶴ヶ城に行く前に武家屋敷に来ました。
会津藩・家老屋敷(西郷頼母邸)を復元してあるみたいです。
いい感じで桜が咲いています。



表玄関、上級武士だけが通された玄関みたいです。
我々を「お待ちしてしておりました」といったところでしょうか。





西郷頼母は、会津藩最後の家老でした。
後に馬場都々古別神社の宮司も務めた方です。
*都々古別神社(馬場)のページ参照
西郷四郎の像もありました。



春の会津若松 飯盛山

今日は、春の会津若松を散策に来ました。
先ずは、白虎隊十九士の墓、「飯盛山」に来ました。



白虎士中二番隊 隊員酒井峰治の銅像です。

飯盛山で自決したうちの一人、飯沼貞吉以外にも生き延びることが出来たのは、
白虎隊全体の8割の280名いらっしゃったみたいです。



本参道より山を登ります。



「さざえ堂」です。昇降別々に一方通行で上下する建物です。



白虎隊自刃の地です。
20名の若き白虎隊少年達は、鶴ヶ城が炎上していると見誤り、
自ら命を絶ってしまったそうです。



ここから見る会津鶴ヶ城です。




2016年4月3日日曜日

茨城県日立市の大甕神社・泉神社・御岩神社

大洗を経由して、かねてから念願の『大甕(おおみか)神社』に来ました。

神話では、悪い神(まつろわぬ神)とされている、地主神の甕星香々背男(みかぼし
かがせお)と称する星神を鹿島・香取の二神もてこづらせていたところ、二神に替わり
倭文神武葉槌命(たけはつちのみこと)が霊力を宿魂石に封じたそうです。

ここのストーリーにも大和朝廷が、蝦夷を征服し、北上していく様子がうかがえます。

ちなみに、倭文神武葉槌命(たけはつちのみこと)は、織物の神様だそうです。





「宿魂石・御本殿」に登ってみました。



登り最後に待ち受ける岩場です。



御本殿です!ここにに封じ込まれているみたいです。




次は、すぐ近所の延喜式内『泉神社』に来ました。



鳥居の手前右側に「聖徳太子堂」がありました。

 

「拝殿」「本殿」です。

 

「御神木」です。

 

神社の脇には、水が混々と湧き出る泉があります!

宮司さんの話では、水色に見えるのは、水ではなく砂の色なのだそうです。




次は、場所を変えて、日立市入四間町の『御岩神社』に来ました。



『神木三本杉』立派です!!



こんな感じです。



「楼門(大仁王門)」です。神仏習合色が色濃くの残っています。






このようなものが、ありました。



『御岩神社』です。




江戸時代の絵図



目指すは『かびれ神宮』表参道より出発です。



到着しました。『かびれ神宮』です。

 

 

今日は、天候もイマイチですので御岩山頂は、スルーです。
後日再トライ?かもです。裏参道より下山です。



ちなみに、遅い昼食は、ここです。